土用の梅干し

何してるん、塀越しに聞かれて、 「梅干しです」 そう答えると、その近所のおばさんは呻きとも、感嘆ともとれない声を漏らして去って行く。 その後ろ姿を見送って、私は再び視線を落とした。 竹ざるの上には、ほんのりと赤く色づいた梅が並んでいる。 ひい、…

再会

「まったく、お前は本当におっちょこちょいなんだから……!」 再会した夫の第一声は、そんなお叱りの言葉だった。 「運転が下手で、おまけに方向音痴な君に車を使わせた俺がバカだったよ」 口では責めながらも、その腕はぎゅっと私を抱きしめてくれる。 その…

山男の話

「山には魔物が棲んどるんだ」 大柄でひげ面の山男は、声を潜めるようにしてそう言った。 「ある男の話だ。山を歩いてるとな、どこからか声がした。おーい――人間の声だ。もちろんあたりには誰もいない。けれど、確かに声がする。 不思議に思って、おうい、こ…

夏の果て

夏の果てに、彼女はいる――。 「じゃ、行ってくるわね」 高校生になった娘を連れ、妻が出かけていく。小さな旅行鞄を提げているのは、これから老いた両親と合流し、北海道へ二泊三日の観光に行くからだ。 ジンギスカンキャラメル買ってくるね、閉じるドアの隙…

三つ目の選択肢

「うん、わかるよ。オレも昔はそう思ってた。だから、いまのお前と同じようなこともやったさ」 若い男が、少年に向かって力説していた。 「でも、ダメなんだよ。こんなことしちゃ。ほら、どんなに綺麗な花でも、摘んだらしおれるだろ? 生きてたときの輝きは…

工場

目を覚ますと、そこには見慣れない風景が広がっていた。 銀色のベルトコンベアに、吹きつける熱風。どこからともなく、ゴウンゴウンと重い音が響いてくる。 ここはどこだろう。私は思った。すると、男が私を覗き込んだ。 「やあ、起きちゃったか。まだ眠って…

二日目のカレー

「二日目のカレーは美味しいんだ」 そう断言した男に、友人は、 「いやいや、それは迷信だ。いくら食べる前に火を入れても、翌日のカレーは食中毒の原因菌が増えて危険なんだぞ。だから、一階で食べきれる量をつくるべきなんだ」 すると、男は首を振り、 「…

馬鹿と普通の境界線

「彼です。彼が野口タロウくんです」 生徒たちに気づかれぬよう、上からの角度で撮られた映像の一点を指し、弟子が言った。 「これが僕の見つけた、馬鹿と普通の境界線上にいる人間です」 「ふうむ。その根拠は?」 あごひげを撫で、博士が尋ねた。すると弟…

真っ赤なポルシェ

視界の端を、真っ赤な車が颯爽と走り抜けていった。 私は思わず立ち止まり、その後ろ姿をじっと見つめた。 「どうしたの?」 と、隣を歩いていた彼が聞く。 「真穂って、ああいう車に興味があるの? 意外だなあ。女の人って、車とか興味ない人が多いだろ? …

土曜日の匂い

僕の飼い主は忙しい。 朝、起きると彼女は「らじお」をつけて「ぱそこん」に向かう。 カチャカチャと音楽みたいな音を立てる。 しばらく経つと、「らじお」がぽーんと音を立てる。 そうすると立ち上がり、やっと僕に朝ご飯をくれる。「といれ」のうんちも片…

おひとりさま

日曜夜の回転寿司。 ファミリーの多いこの時間帯、テーブル席は一時間待ちの大行列。 といって、カウンター席なら空いているというわけでもなく、二人組と二人組の間の一つ席がぽつんと空いているだけ、といった状況である。 待合スペースは子供たちの騒がし…

あの人

初めてあの人の存在に気づいたのは、浴室でした。 もう何日もシャワーの日が続いていて、ええ、私はお湯に浸からないと疲れが取れないほうなので、その日はゆっくりと湯船に浸かろうと……。 半身浴ってご存じですか? 心臓の下まで溜めたお湯に、ゆっくり浸か…

ご趣味は?

見合いの相手がどんな人物であるか、見極めるのは難しい。 なぜなら、見合いとは、その人の日常性を注意深く排除した上で行われるからだ。 例えば、服装。 普段の休日ならば、Tシャツに短パンかもしれないこの男は、いまはビシッとスーツで決め、頭はいつも…

子猫が一匹

「……やはり、ダメだったようだな」 げっそりとやつれた顔で起きてきた男を見て、博士が言った。 「ダメだったのは分かるが、研究のためだ。詳細を聞かせてくれ」 「はい……」 やつれた男は眠そうに目をこすりながら、 「子猫はにゃあにゃあと草にじゃれている…

神様☆見習い中 その2

棺桶の中で、男は安らかな顔をして眠っているように見えた。 駅前で暴走したトラックに轢かれ、即死した男。 『もう一度彼女に会いたいって、そう言ってましたよ』 通りすがりの人がインタビューに答えていたと、女はそのあと聞いていた。 そして、彼女は泣…

おふくろの味

「あ、この味……! この味だよ、お袋の味は! うーん、懐かしいなあ。このトマトの甘み! 子供のころを思い出すよ……お袋は料理上手でさあ、でも俺はこれが一番好きだったなあ。お前、これ、ちゃんと生のトマトを潰してつくったんだろ? スパイスも入れてる? …

ズレてますよ

ズレてますよ、そう言われ、男性ははっと頭に手をやった。 それを見た講師は、怒ったように手を叩き、、 「佐伯さん、手! 手をどけて! ズレてるって言っても、あんたのカツラがズレてるとは誰もいってないよ!」 「あっ、はい、そうですね……」 男性が首を…

親切な設計

動物園のゾウガメを見て、二人の男が話していた。 「あのゾウガメってさ、美味しいんだってね。その上、動きがのろいから、人間に食われて絶滅しかけたんだとか」 「うん。あれで美味いなら捕まえて食うよな……ちょうど具合良く、鍋も背負ってることだし」 「…

ひいひいひいひいひいばあちゃん

「オレのひいじいちゃんは有名な会社のソウギョウシャなんだぞ」 男の子が自慢した。すると別の子が、 「あたしのおじいちゃんはキンユウ会社の社長さんよ」 また別の子が、 「僕のお父さんの家は有名なセンゴクブショウの子孫なんだぞ」 「あ、うちもカケイ…

神様☆見習い中

駅前のベンチで、男が一人、ぼんやりと座っていた。 その目は泣き腫らしたように赤く、行き交う人々の中に誰かを探すような視線は痛々しい。 と、ふと前を横切った女性に、彼は驚いたように立ち上がり、 「香奈?」 その肩を掴んだ。 しかし、それは人違いだ…

ピンチをチャンスに

「ピンチをチャンスに、っていうけどさ」 立ち飲み居酒屋で、茹で蛸のように真っ赤になったおじさんが叫んでいた。 「ピンチはピンチだろうよ! チャンスじゃねえよ! だって、逆を考えてみろよ! チャンスはピンチになるか? ならねえだろ? だったら、ピン…

現代の忍者

「現代の日本に忍者はいません」 と、忍者博物館の館長が言うと、訪れた外国人観光客はそれぞれため息を漏らした。 「忍者に会えると思ったのに、と言っています。彼らは本当に忍者が好きなんですよ」 通訳の女性が館長に笑いかける。 「いや、しかし日本に…

隣の人はインド人

「隣の人がインド人だったんだよ!」 電話を取るなり、友人が息せき切ってそう言った。 「今日、初めて会ったんだけど、ホントに、マジのマジでインド人だったんだ!」 「……別にいいだろ、インド人だって」 電話で起こされた僕は、少々不機嫌にそう言った。 …

シンデレラの教訓

「何か、彼女がその日、9時以降はダメだって言い出してさあ」 「え、何だよ、それ。泊まりはナシってことか?」 「そうらしい」 「でもそんなの無視でいいんじゃねえの? どうせどうしょうもない用事だろ。みんな来るのに、一人だけ途中で抜けるなんて冷め…

漢字の成り立ち

「例えば、『道』という漢字。 これは『首』を手に、歩いて行く様子だと言われています」 先生は黒板に大きく「道」と書き、生徒たちに説明した。 それから今度は「荒」という字を書き、 「これは草原に放置された死体に、髪の毛が残っている様を表した漢字…

外弁慶

「あいつ、外弁慶だったのよ」 彼氏と別れたばかりの友人が言った。 その聞き慣れない言葉に、わたしは、 「外弁慶? 内弁慶じゃなくて?」 「そう、外弁慶」 友人はうなずいた。 「つまり、内弁慶の逆で、外では偉ぶって、家の中じゃ弱いのよ。あいつ、マザ…

こいのぼりさん

緑光る午後。 山間の村に、一年に一度の客がやって来る。 男の子の無病息災を願う、魚、こいのぼりさんだ。 「やあ、古田のおばあさん。お孫さんは幾つになりましたかね?」 「ああ、これはこいのぼりさん。ええ、有り難いことで、今年で小学生ですよ」 「そ…

お客様は神様です

「お客様は神様です!」 バックヤードにいた店長の俺に、店員がそう叫びながら駆けてきた。 「おお、元気いいな」 俺はそれに笑って答える。 お客様は神様です――そのフレーズは我が社のポリシー。 朝礼でも使われる言葉なのである。 「お客様は神様です!」 …

居酒屋でサラダを取り分ける女

〈居酒屋でサラダを取り分ける女子に対して、あなたはどう思いますか? A.気の利く子だな、と惚れる。 B.自分で取りたいので苛々する。 C.気が利くと思われたいんだろうな、と心の中で嘲笑する。 どれを選ぶかで、あなたの心がわかっちゃうかも! さあ…

男と女の見分け方

「ああ、もうそりゃあ一発よ。一発でわかる」 顔にモザイクのかかったハンチング帽の男は、これまた音声処理された声でそう言ってうなずいた。 そして、何か言いかけるインタビュアーを遮って、 「お前さん、あれだろ? 最近はゲイだか何だか知らねえが、綺…